ジャージを買いに

2009年11月20日 23:55

先月受けた健康診断で、「君は胃と肺の再検査を受けたらいいと思うよ」という結果を得たので、今日は仕事を休んで朝からナイスガイシティ病院へ足を運んだ。

よくよく考えてみれば、こういう巨大な病院にかかるのは物心がついて以来初めてのことである。あるいはこの巨大な建物のどこかで、非人道的な人体実験がなされていたりするのかしらんなどと考えると、いやがおうにもワクワクしてくる。あんまりワクワクするので、待ち時間の間に歩いても差し障りのなさそうなところを歩き回ってみたが、別段面白いことなどない。考えてみればそれも道理で、恐らく面白そうなことがあるとすれば、それは差し障りのありそうな箇所にあるのに違いない。
このように、世界はしばしば自分に対して隠し事をする。実にふざけている。なめている。

結局、消化器内科も呼吸器内科も診察らしいことはせず、単に胃カメラとCTスキャンの日時の予約を入れるだけで終わったので、会計窓口で都合1250円也を支払って退散した。医師が検査の予約を取っただけで金銭を要求するのはいかがなものかという気もしたが、丹田に力を入れて言わずにおいた。



病院を出ると腹が減っていた。あるいは胃のレントゲンを撮り直すことにでもなるかと思い、昨夜から何も食わずにいたのだから当然である。ちょうど昼飯時でもあったので、ナイスガイシティ市立図書館に行ったついでに、その最上階の展望食堂でランチとしゃれ込むことにした。

展望食堂はやはり展望食堂というだけに、食事をしながらナイスガイシティの街並みを一望できるつくりになっている。
けれどもそんなものを眺めたところで、この町で生まれたわけでも育ったわけでもない自分には何らの感興も湧くものではない。それでも自分だってこの街で既に9年もの間暮らしてきたのだから、まったく何もないということはないだろうと、この9年間のことを思い返してみたものの、どうも特にビジョン的なものもないままだらだら生きてきたせいか、9年前も今現在も大して変わった気がしない。

しかしながら当人はそのつもりでも、こうして健康診断の後で再検査を勧められる程度には年をとったのだなぁ、やはり9年は偉大だよ、偉大な時間だよと思い直し、そのつもりで改めて街をうち眺めると、果たして何も浮かんではこなかった。

ジャージを買った。

耳そぎ餃子

2009年11月17日 21:46

先日、出張の帰りに大名古屋駅から乗った地下鉄道の車内でふと気づくと、色の白い若い女子が背を向けて立っている。
どうも妙だと思ったのは、その女の耳が比喩表現でなく明らかに餃子であったことで、それを見ると無性に餃子が食いたくなったので、途中で『餃子の王将』に寄って帰ることを決意した。
ところが、そこからの途上に『餃子の王将』はなかったので、代わりにサイゼリヤでペペロンチーノとフォッカチオを食っておいた。

餃子といえば日本ではおかずの一品として大好評のあれであるが、本場中国においてはおやつ的な扱いで、とても食事とともに食うようなものではないらしい。
ただ、そんなことを言い出したら餃子よりもたこ焼きの方が自分にとってはよほど重要な問題で、なんとなれば、自分はあれこそ間食として食らうものだと思っているのだけれども、主として近畿地方に住まう友人たちは「たこ焼きはおかずである!」という信念を頑に貫きながら生活し、一切の異論を認めようとせん。まったくもって頑迷極まりない。
おまけにたこ焼きのみならず、お好み焼きやら焼きそばまでをも彼らはおかずであると称し、これを添えて白米を食う。

炭水化物をおかずにして炭水化物を食らうなんて、そもそも尋常ではない。
一体どれだけ腹ペコキングなのかと思うけれども、当の本人たちはへいちゃらで、今日もラーメンライスかなんかを食いながら「へへへへ〜」と言っている。実にワンパク坊主がそのままおっさんになったような腹ペコキングどもである。
恐らくこのまま放っておけばしまいにはチャーハンや、ことによると食パンまでをもごはんのおかずにしかねない。そんな奴らは自分は知らん。

知らんといえば、ドロシー・ケラーマンのその後も自分は知らん。

ドロシー・ケラーマンは自分の広島県立カリフォルニア高等学校時代の同級生で、いつも頭髪をポニーテールに結って白い耳を露出させていたが、卒業から間もなく、変態の豪州人によって両耳を削ぎ落とされた。

実に恐い。


餃子の王将
イタリアンワイン&カフェレストラン サイゼリヤ

韓国の話

2009年10月27日 02:20

同じ部署のうんこおじさんたちとともに昼飯を食らっていると、先週休暇を取って韓国を旅行してきたオズモンド氏が、ニコニコしながら土産話を開始した。

一体、旅行の土産話ほどつまらんものはない。それも興味のない土地の話であれば尚々つまらん。
たとえるならば、社会に出てから知り合った友達の、中学時代の担任のモノマネを見せられるようなものである。どんなにそれが酷似していようとも、こちらはその先生を知らんのだから面白いはずがない。

果たして自分たちは韓国になどまったく興味がなかったが、そこは一応の気遣いで、いかにも興味のあるふうを装いつつ、「へぇ! 韓国はそんなことになっているのですか!」「それではパン屋のおじさんも大変だ!」「だけどゾウさんはもっと好きだ!」とか言って感嘆するフリに勤しんだ。

しかしながら、部署の長であるコルトレーン氏だけが一人浮かない顔をして、携帯電話で受信したメールを眺めてはため息をついている。

その様子から察するに、どうやら上司のイベリコ王子からメールで叱責されたか、あるいは思いつきの無理難題を押し付けられたものと思われた。
まったくあのイベリコ王子ときたら、来る日も来る日もブヒブヒ言いながらドングリばかり食っている。あんなことではいずれ豚呼ばわりされるのは火を見るより明らかなのだから、今のうちに生活態度を悔い改めた方がいいと自分は思うんだが、そこまで親身になるような義理もないので黙っている。

ちなみにイベリコ王子は、王子というぐらいだから、会社の一番エライ人の息子である。

やがてランチタイムが終了し、みんなでブヒブヒ言いながらオフィースに戻っても、コルトレーン氏は相変わらずで、澱んだ瘴気を全身からいかんなく醸し出している。

これはどうも相当に厳しくやられたものに相違ないと、いい加減哀れに思えてきたけれど、よくよく考えてみればこの人は自分たちとはそもそも立場が違う。高い給料をもらっているのだから、下っ端の我々より苦しい目に遭ったからといって、どうということはないだろう。そのための高給であるとも言えるだろう。

そこで自分は後輩のデヴィッド・ボウイとともにブヒブヒ言いながら業務に勤しみ、そのうち日も暮れたので退社することにした。

ところがここに至ってもなおコルトレーン氏は鬱々として遠くを眺め、一向に回復する様子もない。
それを尻目にこのまま帰るのは気分が悪いし、さすがにこれは何か言っておかなければいかんだろうとそう思い、自分は意を決して「コルトレーンさん、一体どうしたというのです? 昼間からずっと腑抜けの肉じゃぁないですか」と言ってやった。
するとコルトレーン氏は死んだナマズのような目をゆっくりこちらに向け、「いやぁ、どうもね、いかんのだよ。なにしろ昼間に聞いたオズモンド氏の話がつまらなくてねぇ。それでいままで随分気分が滅入っていたんだよ。どうもね。韓国とか言われてもね」と言って力なく笑った。

自分は帰り道に新しくオープンした店で、ラーメンと餃子を食って帰った。

ブラジリアン侵蝕

2009年10月26日 00:50

先日、愛車の三菱BMWを車庫入れしていると、どうもおかしい。
駐車場の前の道が狭いのと、大家の老人がよけいなガラクタを駐車場に置きたがる関係で、車庫入れの際には幾度か切り返す必要があるんであるけれども、ギアを入れ替えるたびにどうもパカパカ音が鳴り響いている様子である。
きっと気のせいだよ、そうに決まっているよ。だってわしは何も悪いことなんてしていないんだもの。とオノレに言い聞かせてみたが、たまたま通りかかったブラジル人が、訝しげな顔をして振り返り、打ち眺めていることから察するに、どうも現実に結構大きな音がしているらしい。

なにしろこのあたりにはブラジル人が多い。町内に限って言えば、下手をすると日本人よりも多いかもしらん。
もっとも、仮に愛知県がブラジルになったとしても自分としては別段どうだっていい。しかしながらこうして車庫入れのたびにブラジル人にじろじろ見られるのは、あまり気分の良いものではないし、日本人であればますます面白くない。

そこで早速ディーラーに電話をいれ、「君のところで購入した三菱BMWが、切り返しの際にパカパカ音を打ち鳴らすものだから、わしはすっかり馬でも走ってきたのかと思い込んでしまったよ。まったく、冗談じゃぁないぜ」と言ってやった。
すると先方では、土曜は既にドックが予約でいっぱいだから日曜に車を持ってこいとそう言う。自分は「わかった!」と言って、今日(既に昨日になったが)愛車を持ち込んでやった。

するとサービス担当のゴールドスミス君が、いささか時間がかかりそうだと言うので、自分はまたしても「わかった!」と言って、近所のコメダ珈琲店で時間をつぶし、ぼちぼちいい頃合だろうと思って戻ってみると、ゴールドスミス君がその名のとおりに顔を輝かせて、「直りましたとも!」と言った。

こんなに顔を輝かせてそう言うのだから、万が一直っていなければチョップをしてやろうと思いながら乗ってみると果たして直っていたので、自分は「あぁ、よかった」と言った。

だからよかったです。


(関連)
こころに、新しい季節がやってくる。 - ロンドン日記



グスタフのテロル

2009年10月06日 21:31

まだ小学校に入ったばかりの夏、ノリオと遊んでいるところへ、アツノリの奴も遊びにきた。
そこで3人で遊ぶことと相なったわけだけれども、なんとなく思いつきで「おい、アツノリ虫」と呼んでいると、アツノリの奴は突然駆け出してそのまま帰ってしまった。どうも虫呼ばわりが気に入らなかったらしい。
悪いことをした。



昨日仕事を休んだグスタフ・ロドリゲスの奴が、今日は亡霊のように出勤してきたので、一体どうしたのかと問いただすと、「風邪です」という力ない返事が返ってきた。
その力ない感じが気になって、きっとインフルエンザではないのだね? と念を押してみると、「昨日かかった医者からは『その可能性は低い』と言われた」と言う。甚だ頼りない回答である。
そもそも「可能性が低い」というのは、まだそうとは断定できん、いわば様子見の段階である。「そうではない」というのとは意味合いがまるで異なる。

そう思って改めて考えてみると、この五十男は元来頼りのない人物で、たとえば仕事の進め方についてアドバイスをしてやっても「ぬふ^mんねべやり」か何か言ってうすら笑いを浮かべたまま、聞いているのか否かも判然とせん。いわばうんこである。
そんなうんこであるだけに、恐らく「仕事のために無理をして出社する俺ってカッコいいだろう? 認めたまえよ、俺のことを。そして俺は、俺は、世界中の女を抱いてやる!」といったような浅薄きわまりないうんこ妄想を胸に抱き、我と我が身を鞭打ちながら、亡霊のごとく出社してきたに相違ない。
果たして、周囲の面々も自分と同じ考えであったらしく、「ちょっと、迷惑じゃないの! 休みなさいようんこうんこ野郎」などと騒ぎ始めた。

そこで自分もみんなと力を合わせる面持ちで、「おいおい、グスタフさんよ、生物・細菌テロかよ? 勘弁してくれよ、コンチクショウ」と言ってへらへらしながらマスクを装着し、当該亡霊男をテロリスト呼ばわりしていると、自分たちの一致団結した快活みとは対照的に、グスタフの奴はだんだんに生気を失い始めた。のみならず、いささか涙ぐんでいるようでもある。

実にふざけた話である。
得体の知れないウィルスをばらまきながら、自ら涙ぐむなどという法はない。

するとそこへ総務のおじさんがやってきて、「君ぃ、インフルエンザの可能性があるのなら、家に引っ込んでいたまえよ。迷惑だから」とそう言って、このグスタフを帰らせた。

こうして我々は、テロに打ち勝ったことをひとしきり喜んだ後で、各々の業務に取りかったのであった。



それにしても、アツノリの奴には悪いことをしたと思う。

インフレーション

2009年10月03日 08:57

週刊少年マガジンか何かに連載されるようなまんが作品においてはしばしば、人知を超えた強さを誇るボスキャラが登場する。
このボスキャラは、指一本でうんこを宙に浮かせるような、何しろ凄い奴で、一体こんな凄い奴を主人公の少年はいかにして打ち破るんだろうか、とこちらはドキドキハラハラ、夜も眠れんほどに心配しながら1週間を過ごすこととなるんであるが、そうして翌週発売号を読んでみると、艱難辛苦を乗り越えた主人公が当該ボスキャラを打ち破ることとなる。

こうして、もはや天下に恐れるもののない「最強」の座を主人公の少年が手中に収めたものかと思えば、実はこのボスはただの中ボスで、次に現れた大ボスはもっと強い。
指一本でうんこをダイヤモンドに変えてしまうような、それこそ神をも凌ぐ強さを誇る奴であった。

さすがにこれは厳しいだろう、だって指一本でうんこをダイヤモンドに変えてしまう奴なんだもの、と思っていると、天地を破壊しかねんほどの死闘の果てに、結局この大ボスをも打ち破る。

これで今度こそ「最強」かと思えば、さらに強い特大ボスが現れて…というような、いわゆる『強さのインフレーション』はこの類の少年まんがの重要なお約束だけれども、どんなに強さのレベルが上がったところで、やっていることは殴る・蹴る・手から得体の知れないエネルギー波を発する、といったあれで、同じことを延々と繰り返しているにすぎん。



お互いを阿呆であると思い合っている阿呆を見ていると、月並みだけれども、結局人間はみんな阿呆であるというように思えてくる。
すべての人間を阿呆と認めてしまえば、そこには阿呆も賢人もない、平等な世界が現出する。
『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメーション作品に登場する「人類補完計画」というのも、要するにそういうことなんだろうと思うが、知らん。そもそも『新世紀エヴァンケリオン』をそんなに観ていない。

ところが、そうしてすべての人類を同様に阿呆の水平線に並べると、今度は「自分もあいつも阿呆だが、その阿呆の中でも、あいつは自分よりさらに阿呆である」とかいった、阿呆の中での差別化が始まる。
この差別化は際限なく続くため、結果的に阿呆の阿呆さ加減の飛躍的に高めることと相なる。
上記の『強さのインフレ』に対して、これを『阿呆のインフレ』と称する。



仕事の帰りにコメダ珈琲店でミニノートをパチパチやっていると、前歯のない屈強な青年2人組が、「俺とお前だったら、お前の方が阿呆だ」「いや、お前の方がより阿呆だ」「いやいや、きっとお前が阿呆だ」とやり始めた。
こうした一連のやりとりを聞きながら、阿呆っぽいしゃべり方というのは、言葉遣い以前に発声が阿呆っぽいのだなぁ、と得心がいった。


人類補完計画って何? - Yahoo!知恵袋


腋毛の女

2009年09月29日 00:31

先日、夜中に車で帰省した。
途中、適当なサービスエリアのコンビニエンスストアで缶コーヒーを買おうと思ったら、缶飲料の冷蔵棚の前、絶妙に邪魔な場所にノースリーブの若い女が立ちはだかり、なにやら購入する品を選定中である。

邪魔だなぁ、うんこだなぁ、と思ったが、そう言ってやるのも何かと問題がありそうなので黙って待っていると、どうも妙だと気がついた。
棚に置かれた商品を取ったり戻したりする女の腋に、どうやら毛が生えている。
それも1本2本の騒ぎではない。腋毛が普通に生えているらしい。

若い女性が腋の手入れをしていないのは何か事情があってのことかも知らんし、そもそも自分にはなんら関係のない純然たる他人なので、この人をどうこう言うものではないが、自分は元来、男女を問わず、腋毛というものが嫌いである。そもそも見苦しい。
これがまだ、頭髪のようにまっすぐであればまだどうにか身の振りようもあるが、なまじっか縮れているものだから、陰毛を思い起こさせる。
「君ぃ、だからいいんじゃぁないか」と言って、そういう毛に欲情する人も世の中には在るらしいけれども、まったく理解の範囲外である。

ただ、いくら見苦しいからといって男が腋をつるつるにしていると、それはそれで気色が悪い。
仕方がないので、自らの腋に関しては目をつぶり、日々気を他に紛らせて過ごしているのだけれども、自分の友人のツジには生来この腋毛がない。おまけに奴の体型はマッチ棒に酷似していたので、あだ名が『マッチ』になった。
それでいて名前は『真彦』ではない。『真彦』には似ても似つかない名前を名乗っている。
実にあいつはふざけている。



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